投稿者: admin

  • #17 包丁販売で学ぶ英語!料理用語の発見?

    語学学習も兼ねて今日から包丁を販売するアルバイトを始めた。そこで気づいたのは、論文などに書かれている英語は確かに難しいものの、何とか読める。一方で、料理関連の語彙については、ほとんど知らないということだった。

    そこで、自分の英語学習の一環として、包丁の種類に関する英語表現と、包丁を使った切り方の英語表現を、ここに残しておきたい。

    〈包丁の種類〉

    以下では、英語のほうが使用頻度が高いため、英語→日本語の順で表記する。

    ①Chef’s Knife

    牛刀

    三徳包丁

    ②Utility Knife

    三徳包丁

    ペティナイフ

    ③Vegetable Cleaver(野菜専用の平刃包丁) 

    菜切り包丁

    ④Paring Knife

    ペティナイフ

    ⑤Slicing Knife / Carving Knife

    すじ引き包丁

    柳刃包丁

    〈包丁の部品〉

    〈切り方の英語〉

    ① cut(切る)

    This knife can cut through hard vegetables like pumpkin easily.

    Be careful when you cut! The blade is very sharp.

    ② slice(スライスする・薄く切る)

    You can slice tomatoes very thinly with this knife.

    It’s perfect for slicing meat or sashimi.

    ③ chop(ざく切りにする・粗く刻む)

    This one is good for chopping vegetables quickly. You can chop onions, carrots, and other hard vegetables easily.

    ④ dice(さいの目に切る)

    You can dice the onions into small cubes for curry or stew.

    Diced vegetables cook more quickly and evenly.

    ⑤ mince(みじん切りにする)

    ※アメリカ英語では「chop finely」でもOK

    Use the tip to mince garlic very finely.

    This knife helps you mince herbs without crushing them.

    ⑥ shred(細く切る・細かく裂く)

    You can shred cabbage for coleslaw or okonomiyaki.

    The sharp edge makes it easy to shred even soft vegetables.

    ⑦ julienne [dʒuːliˈen](千切りにする)

    ※やや専門的

    You can julienne carrots or daikon for salad or garnish.

    Julienned vegetables look beautiful and cook evenly.

    今後、これ以外にも料理に関する英語表現をもっと共有したい。

    【参考文献】

    脇山 怜(編集)『暮らしの英語がわかる事典』ジャパンタイムズ、2001年。

    南出 康世(編集)『ジーニアス英和辞典 第6版』大修館書店、2022年。

    ※例文等の一部はchat gptを使用しています。

    【タグ】

    語学, 英語, 語彙学習, 実用語彙, 料理, 包丁の名前, 専門用語, 言葉の観察

  • #16 英語の文型について

    昨日同様に、ブログサイト「note」で解説した英文法の一部を抜粋し、こちらでも反映させたい。さて、今回は「文型」についてである。


    英語を話したいとき、てきとーに英単語を羅列するだけでは話していることは全く相手に通じません。

    英語話者は、ある一定の法則パターンに則って話しています。

    そのパターンの一つが、「文型」 です。 

    もちろん、文というのは数え切れないくらいに存在しています。そのため「文の形(型)」というのも、数え切れないくらいあります。

    その数え切れないくらいの文のパターンをある特定のポイントに焦点を当てることで、

    文の型として分けたのが、「文型」ということになります。

    日本で習う「五文型」というのは特に「(述語)動詞」の役割によって、文をパターン化し、5つに分けたものです。

    なので、文の型というよりは、「(述語)動詞の型」と考えておいても良いでしょう。

    また、言ってみればあたりまえのことなのですが、同じ形のパターンを取る動詞は、「同じような意味」になることが多いです。つまるところ、最悪、動詞の意味がわからなくとも、文型さえ取れれば、ある程度「意味」を予測することができるということです。

    逆を言えば、どの文型をとっているか見破れなければ、

    確実な「動詞の意味」は分かりません。

    例えば、「get=得る」とするのは危険です。

    getは、5つの文の型全てで使える動詞です。また、もちろん全て意味が異なります。

    あえてここでは詳しく解説しませんが、動詞の意味は文型を見ないと分からないということは押さえておいてください。

    https://youtube.com/shorts/njkHgcW-PT4?si=lKWqZqKZ6o8SErsV

    (どんな意味があるかチェックしたい人はこちらの動画をご覧ください。)

    ですが、先ほども言及したとおり、本来文の型は数え切れないくらいにあるので、全てをこの5つに分けることは不可能ですし、単純に「型にはまれば全く同じ意味になる」とも言えません。

    とはいえ、英語の文の基礎部分を理解するには良いツールだと思います。あまり揚げ足を取らず、基礎だと思って文型を習得していきましょう。

    文型の全体像

    まずは、それぞれの記号(アルファベット)が何をあらわしているのかから確認します。

    ・S(Subject)・・・主語

    ・V([Predicate]Verb)・・・(述語)動詞

    ・C(Complement)・・・補語

    ・O(Object)・・・目的語

    ・M(Modifier)・・・修飾語

    これらのこと英文法の世界では「文の要素(M:修飾語を除く)」と呼びます。

    英文読解の授業なんかでは、この記号をよく使うので今のうちに慣れておきましょう。

    さて、使い方や意味は、後でみるとして、全体像からみていきましょう。

    これは当たり前のことかもしれませんが、SVまでは共通しています。

    「5文型」というのは、「(述語)動詞」の役割(使い方)によって区分しているので、

    「(述語)動詞」のVまでは、第一文型から第五文型全て同じになるわけですね。

    まず英語では、主語である「何が、誰が」という情報が来て、その後に”結論”である(述語)動詞の「どうした」が続きます。

    英語が、よく「結論を先に言いたい言語」であると言われるのは、このためです。

    逆に、「主語→結論(述語動詞)」の順番ではないと、普通の文(平叙文)ではないと、すぐに分かります。

    例えば、疑問文(be動詞、have動詞、助動詞が先に来る)であったり、命令文(主語を省略して動詞のみ置く)であったりするわけですね。

    また、動詞を見れば、それがいつのことなのか(現在か過去か未来か)、するのかしないのか(肯定か否定か)もすぐに分かります。

    全く日本語とは異なりますね。

    日本語の場合、最後まで言わないと結論が出てきません。

    例えば、

    (英語の場合) I like apples. 

    S(I) V(like) までで結論は分かります。あとは、何が好きかを待つだけです。

    (日本語の場合) 私はりんごが好きです。

    「好きです」の結論が最後にあります。ということは、「好きなのか」「好きではないのか」や「今好きなのか」「前好きだったのか」など最後まで聞かないと分かりません。

    この話し方は、日本語特有で、日本人が英語を書くとき・話すときにも、引っ張られることがあります。

    今のうちから「主語→結論(述語動詞)」の流れを意識しておきましょう。

    ところで、ここまでの説明で単に「動詞」と言わず、毎回「(述語)動詞」というのはなぜか、気になりませんでしたか?

    前回の記事でも注意しましたが、品詞における「動詞」と文を作る動詞の役割である「(述語)動詞」は完全なイコールではありません。それを区別するために、毎度「述語」という文言をいれました。

    英語において、「述語(Predicate)」になれるのは「動詞(Verb)」であるとイコールを結ぶことはできます(述語=動詞)が、

    品詞における「動詞(Verb)」が「述語(Predicate)」であるとは言えません(動詞≠述語)。

    例えば、

    I like to swim in the pool. (私はプールで泳ぐことが好きです。)というのみてみると、

    like(好き)は「述語動詞」と言えますが、 swim(泳ぐ)は「述語動詞」とは言えません。

    述語というのは、文における結論部分です。この文の結論は、「好きです」という部分ですね。

    (to) swim(泳ぐこと)というのが、結論ではないことはお分かりいただけると思います。

    likeもswimも、品詞においては「動詞」になりますが、文においては役割が異なっているわけです。

    そのためわざわざ、「(述語)動詞」と説明しています。

    学校の授業や参考書には、いずれも「V」としていることがあります。

    どちらのことを指しているのか、よく気をつけて学習を進めてくださいね。

    (参考文献)

    英文法総覧

    ロイヤル英文法

    表現のための実践ロイヤル英文法

    動詞による区分(自動詞・他動詞)とは

    文型は、「(述語)動詞」の役割(使い方)によって、文を区分したものと解説しました。

    そうすると、文型の理解には、「動詞」の使い方が必要不可欠になってきます。

    まず大きく動詞を分けるのが、「自動詞」と「他動詞」になります。

    自動詞は、「自分だけでできる動詞」のことで、

    他動詞は、「他のものや人がいてやっとその行為ができる動詞」のことであると、

    ざっくりと理解してください。

    I run every day. (私は毎日走っています。)

    この “run” は、何もなくても「自分だけ」で行為を完結できます。

    He hit the girl. (彼はその女の子を殴った。)

    “hit” は、殴られる対象「他の人」が必要になります。

    少し余談ですが、この例文をみてみると、英語は「見たまま」を表現する言語だと言えます。

    どいうことか、絵を描いてみると分かります。

    左から右に、「見たまま」に流れていることが分かりますね。

    このように、英語は「見たまま」を言葉にする(説明的で分析的および客観的)ので、日本語に比べロジカル(論理的)な言語であると言われることがあります。

    さて、ここで文法に沿って知識を確認していきます。

    相手・対象がなくてもできる動詞を「自動詞」とよび、

    相手・対象があってはじめてできる動詞を「他動詞」とよびます。

    相手・対象のことを、英語で”Object”と言います。

    この”Object”を、英文法の用語に翻訳するときに、英語の文法学者は「目的語」という日本語をあてました。

    つまり言い換えれば、

    相手・対象は「目的語」と言い、

    目的語がいらない動詞が「自動詞」

    目的語がいる動詞が「他動詞」となります。

    今後詳しく解説記事を出しますが、

    まず前提として多くの動詞は、「自動詞」としても「他動詞」としても使うことができます。

    よく学習者の中には勘違いして、

    他動詞は日本語に訳すと「~をする」となることが多いから訳語(「何を?」と聞けたら他動詞)で他動詞か否かを判断してしまう人がいます。

    しかし、実際には、目的語があっても「を」以外の助詞を使うこともあれば、逆に聞けるけど自動詞ということもあります。

    ですから、使い方を知るには、辞書を引く他に方法はありませんので、面倒くさがらず動詞に出会う度に確認していきましょう。

    (参考文型)

    英文法総覧

    英文法の核

    一億人の英文法

    英文法用語の底力

    村端 佳子, 黒木 美佐(2020)「英語の絵本に見られる英語の見方・考え方の一考察 」宮崎国際大学教育学部紀要『教育科学論集』第 7 号32-43 頁

    自動詞と他動詞の更なる分類

    自動詞と他動詞と分けただけでは、まだ文型としての形が見えてきません。

    ここからさらに、自動詞と他動詞も分類していきます。

    完全自動詞

    不完全自動詞

    完全他動詞

    不完全他動詞

    以上4つに分類できます。

    この4つに加え、「完全他動詞」の中に「授与動詞」が入り、計5種類の文の型(文型)が出揃いました。

    これから解説しますので、まだそれぞれの意味は分からなくて構いません。

    もう一度、この図を使って確認しておきましょう。

    第一文型・第二文型には目的語がありませんので「自動詞」、第三文型・第四文型・第五文型には目的語がありますので「他動詞」になります。

    自動詞には2つの文型(文の形)が、他動詞には3つの文型(文の形)があります。

    よく見てみると、それぞれに特徴がありますね。

    目的語がなく動詞のみで終わっているもの、目的語はないのに補語があるもの。目的語が1つだけあるもの、2つもあるもの、目的語に補語が続いているもの。

    この特徴が先ほどの5つの種類の動詞の説明になります。

    完全自動詞・・・目的語がなく動詞のみで終わっている →第一文型(SV)

    不完全自動詞・・・目的語はないのに補語がある →第二文型(SVC)

    完全他動詞・・・目的語が1つだけある →第三文型(SVO)

    (授与動作)・・・目的語が2つもある →第四文型(SVOO)

    不完全他動詞・・・目的語に補語が続いている →第五文型(SVOC)

    (参考文献)

    英文法総覧

    英文法の核

    ロイヤル英文法

    表現のための実践ロイヤル英文法

    「不完全自動詞」・「不完全他動詞」とは?

    ざっと、みてみると、

    「補語」がつくと「不完全●動詞」になると分かってきましたね。

    不完全自動詞(SVC)を挙げて考えてみましょう。

    自動詞なので、O(目的語)はないですね。でも、動詞だけで文にピリオドを打つことことができず、主語の説明を補語(説明)で補うことが必要になります。その不完全さを含んだ自動詞のことを「不完全自動詞」というわけです。

    そうでなく、「SV」だけで終われるか、文の要素とは関係のない「修飾語」だけで終われる自動詞を「完全自動詞」と言います。

    さて、不完全他動詞(SVOC)も見ておきましょう。

    これは、目的語を取るので他動詞です。それに加えて、補語が続きます。SVOCのO(目的語)を説明するために、あとからC(補語)を続かせています。SVOC の C は「Oを主語として見たときの述語」みたいな関係です。

    (参考文献)

    英文法総覧

    ロイヤル英文法

    文の要素と修飾語

    「五文型の概観」の最後は、「文の要素」についてです。

    「文の要素」とは、「文を構成するのに最低限必要な部品」のことです。

    具体的には、

    主語(S)

    (述語)動詞(V)

    目的語(O)

    補語(C)

    のことです。

    修飾語(M)は、「他の言葉をより詳しく説明する」役割で、「述語動詞」の力が届かない言葉なので、

    「最低限必要な部品」ではありません。

    ということはつまり、「文の要素」にはならないことになります。

    例えば、dance「踊る」にbeautifully「美しく」で、

    dance beautifully「美しく踊る」ですが、

    beautifullyの部分はあくまでもdanceを詳しい情報を付け加えたに過ぎません。

    まとめると、いっさいの修飾語をつけない文が、

    英語においては「原型」になるということになります。

    しかし、実際は、例えば第一文型で完全自動詞のみ(修飾語をつけない)の文を構成してしまうと、落ち着きのない響きになってしまいます。なので、基本的には、何か修飾語を伴っている文を見ることが多いことになると思います。

    さて、ここからはそれぞれの文の要素の役割と、

    その文の要素になることができる品詞を復習を兼ねて確認していきましょう。(品詞については#2の記事を参照)

    ・主語

    主語になることができるのは、「名詞」と「代名詞」になります。

    日本語の「何が、誰が」の部分に相当します。

    ・(述語)動詞

    (述語)動詞になれるのは、もちろん「動詞」です。

    日本語の「〜する、〜だ」の部分に相当します。

    ・目的語

    目的語は、「名詞」と「代名詞」がなり、他動詞の後に続きます。

    役割は、動作や行為の対象になることでしたね。

    ・補語

    「名詞」「代名詞」「形容詞」が補語になれます。

    補語は、主語や目的語が「どういう状態なのか」、「どういったものなのか」という意味を補う役割があります。

    補うといっても、補語は修飾語と違い、取り除いてしまうと意味が通じなくなってしまいます。

    ここまでが、「文の要素」と呼ばれる「文を構成するために最低限必要な部品」でした。

    この「文の要素」を付け加えて説明するのが「修飾語」になります。

    ・修飾語

    品詞としては、名詞を修飾する「形容詞」や名詞以外を修飾する「副詞」になるのは予想がつきますね。

    (※しかし、読解授業の際、便宜上「修飾語」=「副詞語句」とすることがあります。実際に、『英文記事で学ぶ英語ワンポイントシリーズ』でも、解説内の板書を同様の形で記号をつけております。)

    【タグ】

    文型, 5文型, 自動詞, 他動詞, 英文法, 英語教育, 言語習得, 認知言語学, 文法指導, 英語学習理論, 文の構造, 英語文法体系, 教養英語

  • #15 英語の品詞について

    1年ほど前、ブログサイトnoteにて、少しだけ英文法の解説をしていた。本来ならそこで多くの人に英語を教えたかったのだが、最近忙しいのでなかなかできずにいる。

    第一回として解説したのが「品詞」という、英語の基礎にして核心とも言える主題だった。せっかくの機会なので、ここでもあらためて、その内容を共有したいと思う。


    英文法の学習、いや英語の学習において最も重要なものの一つが「品詞」です。英語学習者の殆どが「品詞」についてよく分かっていないし、指導者も時間の関係上どうしても省略してしまいがち… 

    しかし、「品詞」というのは、様々なところで応用できる、基礎基本の「キ」です。

    例えば、「to不定詞」を勉強するとき、”名詞”的用法とか、”形容詞”的用法とか、”副詞”的用法とか、出てきますね。

    「品詞」がわからないのに、「to不定詞の”名詞”的用法は”名詞”と同じ働きをします」と言われても理解できるはずがありません。

    実際に、to不定詞の理解を「訳を覚える」ことで止まってしまっているのではないでしょうか?

    使い方まで分かっていますか?

    そもそも品詞を理解していれば、「訳を覚える」ということすらする必要がなくなります。

    この例以外にも、英語学習の上で、たくさんの場面で品詞を考えないといけないときがきます。

    品詞を習得することは、ゲームでいうコントローラーの使い方を知るようなものなのです。

    体系的に英文法を理解するためにも、基礎である「品詞」をしっかり学習していきましょう!

    品詞とは?

    国語辞典で引いてみると、

    品詞というのは「単語を形態・職能などによって分類したもの。」と書かれてあります。

    ようするに、「品詞は、単語が文中で果たしている機能(役割)を表したものである」と言えますね。

    なので、品詞を使いこなすためには、その単語の役割がなんなのかを理解し、習得する必要があります。

    ここで注意なのですが、一つの単語に一つの品詞(役割)が当てられているわけではありません。一つの単語には、複数の品詞(役割)が当てられている場合がかなりあります。

    簡単な例でいえば、”train(トレイン)”は、「電車」という名詞もあれば、「トレーニング(訓練)する」という動詞もあります。

    もう少しレベルを上げれば、”patient(ペイシェント)”なんかは、「患者」という名詞と「しんぼう強い」という形容詞があります。

    そもそも、単語に品詞が当てられているというよりは、「文の中でどんな風に使われているか」で品詞は変わるという認識の方が適切でしょう。

    (参考文献)

    新明解国語辞典第7版

    ジーニアス英和辞典第5版

    品詞の数

    さて、まずこの質問からしてみましょう。

    「品詞の数はいくつありますか?」

    この質問は、品詞を理解できる最低条件が整っているかの確認に使えます。ゲームのコントローラーのボタンの数をまず知るというようなことです。

    では、答えられますか?無限にあるように感じますか?

    「名詞?」「疑問詞?」「冠詞?」「関係詞?」「形容動詞?」…

    早速答えを言えば、「8つ」です。

    案外少ないような気がしますね。

    名詞

    代名詞

    動詞

    形容詞

    副詞

    前置詞

    接続詞

    感嘆詞

    この8品詞が、日本の学校教育で一般的に教えられるものです。

    これらは、品詞の第一段階目のざっくりした分類です。

    さらに詳細にそれぞれの品詞の中に、細かい分類がたくさんあります。

    例えば、「名詞」の中に、

    「可算名詞(数えられる名詞)」や「不可算名詞(数えられない名詞)」があったり、

    「代名詞」の中に、

    「指示代名詞(this / that)」や「人称代名詞(I / you / him など)」、「不定代名詞(one / other / anotherなど)」があったりします。

    あれ?「疑問詞?」「冠詞?」「関係詞?」「形容動詞?」は?

    という質問にもお答えしておきましょう。

    「疑問詞」は、「疑問代名詞(who・whom・whose・what・which)、疑問形容詞(what・which・whose)、疑問副詞(when・where・why・how)」 の総称のことです。

    「冠詞」は、「形容詞」の中にある詳細な分類の一つです。

    (※冠詞を含めて一つの別の品詞として考える場合もあります。そのときは、品詞は全部で「9種類」になります。)

    「関係詞」は、「関係代名詞(that・which・who(m)・whose・what)、関係副詞(when・where・why・how)、関係形容詞(what・which) 」  の総称のことです。

    「形容動詞」は、日本語文法に出てくるもので、英語の文法に「形容動詞」は存在しません。

    品詞を覚えよう

    品詞というのは、英文法を理解するのに最低限必要なものです。

    ひとまず分からなくても構わないので、この8つをまずは覚えてしまいましょう。

    細かな役割は、後でみることにします。

    名詞

    代名詞

    動詞

    形容詞

    副詞

    前置詞

    接続詞

    感嘆詞

    「名詞、代名詞、動詞」

    「形容詞、副詞」

    「前置詞、接続詞、感嘆詞」

    このグループで覚えてしまいましょう。

    大まかなあ役割は以下の通りです。

    「名詞、代名詞、動詞」・・・主語と述語になる(文を構成する)

    「形容詞、副詞」・・・修飾語になる(文に飾りをつける)

    「前置詞、接続詞、感嘆詞」・・・その他

    この8つを把握するところから品詞の学習は始まります。

    これからは、「名詞が….」や「接続詞の使い方は….」など、すでに登場人物を全員わかっているという前提で解説を進めます。

    一旦ここまでをまとめました。

    確認しておきましょう。

    また品詞の詳細についてはこれから見ていきますので、軽く目を通しておいてくださいね。

    (参考文献)

    英文法総覧

    英文法の核

    それぞれの品詞の役割

    ここからは、簡単にそれぞれの品詞の役割を確認します。

    (さらに詳しい品詞の解説については、今後のNote記事にご期待!)

    ・名詞

    名詞は、「人やものの名前をあらわす」と説明されますね。

    しかし、名詞の役割は?と聞かれて、このように回答しては、答えになっていないと言えます。

    名詞の役割は?と聞かれたら、「主語」「補語」「目的語」と答えましょう。

    今はまだ「主語」「補語」「目的語」の意味が分からなくても大丈夫です。

    具体的な名詞の単語は prince / book / computer / tea / paper / Osaka / Eiffel Tower などがあります。

    ・代名詞 

    代名詞は、「名詞の代わりに使われる」もののことです。

    名詞の代わりなのだから、もちろん役割も名詞と同じです!

    (イメージとしては、「リーダー代理はリーダーと同じ仕事をする」ような感じです。リーダー代理が来たのに、リーダーの役割を担わないで、経理をし始められると、目が点状態ですよね?代わりなのに他の仕事(役割)をされるとびっくりしますね。)

    つまりは、「主語」「補語」「目的語」が役割になります。

    さらに、大きく分けて、代名詞は、

    「I / my / me / mine」などの「人称代名詞」、 「this / that / these / those」の「指示代名詞」、「one / other / another」などの「不定代名詞」があることもおさえておきましょう。 

    ・動詞 

    動詞は、「主語の動作や状態を表す」ことばのことを言います。

    役割は、「(述語)動詞」になるということです。

    品詞における「動詞」と文を作る動詞の役割である「(述語)動詞」は完全なイコールにはなりません。

    詳しい解説は、「文型(動詞の型)」の解説に任せるとして、とりあえず「動詞」は「(述語)動詞」になると覚えてしまいましょう。

    また、動詞は、「動作を表す」と説明するだけでは「動詞」というものを完全に説明できていないことにも注意が必要です。

    動詞には、動作を表す「動作動詞」と状態を表す「状態動詞」の二種類あります。

    例を挙げてみれば、

    「write(書く) / read (読む)」などは動作を表しているので動作動詞で、

    「think(考える) / love(愛する)」などは状態を表しているので状態動詞となります。

    ・形容詞 

    「名詞の様子や性質、状態などをあらわす」というのが形容詞になります。

    一般的に「名詞を説明することば」と言われることが多いですね。 

    役割をと言えば、二つです。「名詞を修飾する」ことと、「補語」になること。

    「名詞を修飾する」はすぐに出てくるのに、なかなか「補語」になるは出てこないので、すぐに思い出せるようにしておきましょう。

    かなり大雑把な説明にはなりますが、この「名詞を修飾する」形容詞の使い方を「限定用法」、「補語になる」形容詞の使い方を「叙述用法」と言います。

    I know the smart girl.

    (私は、その頭の良い女の子を知っています。)

    これは、smartがgirlを説明しているわけですが、

    このとき「色々な女の子(girl)の中でどんな女の子(girl)なのかを区別(限定)」しているので、「限定用法」と言われます。

    一方で、

    That girl is smart. 

    (あの女の子は頭が良いです。)

    のように「補語(be動詞isの後ろ)」にきている場合は、

    「女の子(girl)という名詞を単に説明(叙述)」しているので、「叙述用法」と言います。

    ・副詞 

    副詞は、学習する上でかなり苦戦する人が多い品詞の一つです。

    でも、ゆっくりと確認していけばそれほど難しくはありません。

    まず、副詞は、「程度や頻度など」をあらわすと覚えましょう。 

    主に役割として「動詞・形容詞・副詞・文など(名詞以外)を修飾」します。

    形容詞は「名詞」を、副詞は「名詞以外」を修飾すると考えれば暗記量が減りますね。

    しかし、副詞は「文の要素(主語・(述語)動詞・補語・目的語)」にはなりません。

    いわゆるSVOCには、なれないのです。副詞を見かけたら、その点注意しましょう。

    さて副詞の例を見てみます。

    He runs so fast.

    (彼は、とても早く走る。)

    この文では、fast(副詞:早く)はruns(動詞:走る)を修飾していて、so(副詞:とても)はfast(副詞:速く)を修飾しています。

    副詞は、このように「動詞」を修飾することも、

    「副詞」が「副詞」を修飾することもあります。忘れないでくださいね。

    ・前置詞

    前置詞は、「場所や時などをあらわす」品詞です。

    前置詞は、単体では使われず、必ず後に名詞が続きます。

    書いて字の如くですが、「名詞の前に置く詞[ことば]」で「前置詞」です。

    役割としては、<前置詞+名詞>のかたまり(前置詞句)で形容詞と副詞の働きになります。

    早速ここでも応用が効いてきましたね。形容詞と副詞の役割はなんでしたか?

    形容詞は、「名詞を修飾する」ことで、

    副詞は、「名詞以外を修飾する」ことでした。

    ・接続詞 

    「単語や句、節などをつなぐ」ものを接続詞と言います。

    接続詞は、単に二つを同じよう(並列)につなぐ「等位接続詞」と、

    文を繋ぎ名詞や副詞のカタマリとして働く「従属接続詞」があります。

    I have a pen and an apple.

    (私は、ペンとリンゴを持っています。)

    このandはa penとan appleをそのまま並列で繋いでいます。

    I don’t care if you don’t have money.

    (私は、あなたがお金を持っていなくても気にしません。)

    ここではifが接続詞です。

    Ifは副詞のカタマリを作っており、if you don’t have money(あなたがお金を持っていなくても)が、

    don’t care(気にしません)の動詞を説明(修飾)しています。

    ここでいう、andが「等位接続詞」、ifが「従属接続詞」になります。

    ・感嘆詞(間投詞)

    感嘆詞は、「驚きや喜び、感動などの感情をあらわす」ものです。

    oh / ouch / wow などが挙げられますね。

    この感嘆詞は、感情を表すわけなので、他の品詞に比べると”文法的”重要性はそれほど大きくはないと思います。

    こういう種類の品詞があるということだけ知っていれば十分です。

    もちろん深堀すれば面白いので、英語が得意!と言えるようになってから勉強してみてください。

    (参考文献)

    英文法総覧

    英文法の核

    一億人の英文法

    【タグ】

    品詞, 英文法, 英語教育, 言語習得, 認知言語学, 品詞分類, 品詞理解, 文法指導, 英語学習理論, 品詞の役割, 文の構造, 英語文法体系, 教養英語

  • #14 World Philosophy③ 仏教

    前回は、ウパニシャッド哲学、すなわち現代インドの諸宗教が生まれる前夜について説明した。今回は仏教を紹介する。

    特に、仏教がウパニシャッド哲学の基本理念をどう捉え、それをいかに実践に移していったかを見ていきたい。

    まず確認しておきたいのは、仏教をはじめ、ウパニシャッド哲学を起源とする宗教では、輪廻転生からの解脱が必要であり、そのためには修行が不可欠と考えられているという点である。

    仏教では、輪廻は「六道」と呼ばれる六つの世界「地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道」を巡るものとされる。この六つの世界での生死を断ち切るため(解脱するため)に修行が求められるのだ。

    仏教において、輪廻は好ましくないものとして捉えられる。それは、輪廻の中で「四苦八苦」を経験せねばならないからである。仏教の開祖・釈迦の「四門出遊」のエピソードをご存知だろうか。

    あるとき、釈迦は東門から外に出た。そこで老人を見て、「人は皆老いる」と気づいた。次に南門から出ると病人を見て、「人は病にかかる」と知った。さらに西門から出ると死人を見て、「人は死ぬ」と悟った。最後に北門から出たとき、修行僧(沙門)に出会い、老・病・死の苦しみから逃れる道があるのではないかと考えた。

    このエピソードに見られるように、「四苦」とは、生・老・病・死の四つの苦しみである。これに加え、愛する者と別れる「愛別離苦」、嫌いな人と会わねばならぬ「怨憎会苦」、求めても得られぬ「求不得苦」、心と身体を思い通りにできぬ「五蘊盛苦」を加えて「四苦八苦」と呼ぶ。

    人は生きている限り、この苦しみからは逃れられない。

    紀元前7世紀、ウパニシャッド哲学(特に「梵我一如」の先駆者)の中心人物ヤージュニャヴァルキヤはこう説いた。
    「輪廻の原動力は、善(功徳)であれ悪(罪障)であれ、行為(業=カルマン)である。そして、そのカルマンを生み出すのは、欲求とその裏返しである嫌悪によって成る“欲望”である」。

    言い換えれば、欲望を滅すれば、カルマンは消え、輪廻から脱することができるということだ。

    釈迦はさらに深く考えた。欲望の根源には「生きたい」という根本的な欲求(渇愛)、そして無知(無明)や愚かさ(癡)があると見抜いた。輪廻を断ち切るには、この「生きたい」という根本的な欲求を克服せねばならない。

    そこで釈迦は、この世界と、そこに生じる現象が、どのような因果関係(縁起)によって成り立っているのかを深く探求した。

    彼は次のような法則にたどり着いた。

    「これがあれば、かれ(それ)が成り立ち、これが生じれば、かれも生じる。これがなければ、かれは成り立たず、これが滅すれば、かれも滅する」。

    このように、原因と結果の関係を検証することで、因果関係の真偽を見極めることができる。仏教では、この因果性の法則を「此縁性(しえんしょう)」と呼ぶ。

    視点を西洋に転じてみよう。この「此縁性」、すなわち「因果性」の考えは、19世紀の近代においてようやく理論的に体系化された。功利主義や自由主義で知られる政治思想家、ジョン・スチュアート・ミル(J. S. Mill)は、「蓋然推理」として、同様の因果性の検証方法を提示している。紀元前に生きた釈迦がすでにそれを体得していたとすれば、これこそが「世界哲学(ワールド・フィロソフィー)」を学ぶ醍醐味であろう。

    さて、こうした論理的な思索の中で釈迦が導いたものが「四諦(したい)」である。四諦とは、仏教における四つの真理であり、苦しみから解脱する道を説いたものだ。

    この世は苦しみに満ちている(苦諦)。
    苦しみには原因がある(集諦)。
    苦しみは終わらせることができる(滅諦)。
    そのための実践がある(道諦)。

    この「道諦」で説かれる実践こそが「八正道」である。
    八正道は次の八つの実践から成る。

    正見(しょうけん):正しい見方をすること

    正思惟(しょうしゆい):正しく考えること

    正語(しょうご):正しい言葉を使うこと

    正業(しょうぎょう):正しい行いをすること

    正命(しょうみょう):正しい生活を送ること

    正精進(しょうしょうじん):正しく努力すること

    正念(しょうねん):正しく心を保つこと

    正定(しょうじょう):正しく精神を集中させること

    ここからは私見である。
    仏教というと、どこか精神世界的なものという印象を抱いていた。しかし実際には、驚くほどの論理性と観察の緻密さをもって人間の存在を捉えている。むしろ西洋哲学に先んじていたとも言えるだろう。

    もっとも、私にはその全容を理解する力はなく、多様な見解もあることから、ここでの深入りは避けておきたい。

    【参考文献】

    木村 靖ニ『詳説 世界史探究』山川出版社、2017年。
    宮元 啓一『わかる仏教史』角川ソフィア文庫、2017年。
    渋谷 申博『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』日本文芸社、2019年。
    白取 春彦『完全版 仏教「超」入門』ディスカヴァー・トゥウェンティワン、2018年。
    貫成人『大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる』角川文庫、2019年。

    【タグ】

    ウパニシャッド,仏教,輪廻転生,解脱,六道,四苦八苦,四門出遊,因果性,縁起,此縁性,J・S・ミル,蓋然推理,四諦,八正道,インド哲学,比較思想,宗教哲学,東洋思想,西洋哲学,哲学入門,哲学

  • #13 World Philosophy② 仏教前史

    World Philosophyとは、「哲学とは西洋の専売特許ではなく、人類すべてが共有する営みである」とする立場である。前回に引き続き、今回はその視点から、アジアにおける思索の途をたどってみたい。

    とりわけ、日本や中国をはじめとする東アジアの精神文化に深く影響を与えてきた仏教の歴史、いわゆる「仏教史」について考察する。

    ただし、仏教の教えや歴史は、宗派の多様性と地域的変遷によって、あまりに複雑化している。そもそも初期の形を正確に描き出すことすら難しく、また、歴史を「追う」と言っても、その解釈は常に議論と再検討の対象である。

    そこで本サイトでは、仏教について詳細な教義や宗派論に深入りすることは避け、あくまで思想の大きな流れをざっくりと掴むことを目指す。そのうえで、僕自身の視点から、いくつかの解釈を交えながら紹介したい。

    まず、今回は、仏教のもとになったといわれる「ウパニシャッド哲学」から取り扱おう。

    たとえばギリシア哲学が生まれた背景には、アテネとスパルタの戦争があり、そのなかでソクラテスやプラトンが世の中を見つめ直すことで、哲学的思索が芽生えた。前回の記事(#12)で紹介した諸子百家も、春秋戦国という争乱の時代に登場している。そして、このウパニシャッド哲学もまた、インドにおける抗争と混乱の中から生まれてきた。

    これらは共通し、「生きるとは何か」を改めて問うことで誕生したとも考えられる。

    さて、もともとインドには、自然崇拝を中心としたバラモン教が根付いていた。だがそのバラモン教は、やがて形式化・形骸化し、祭祀を行うことが目的化されていった。司祭であるバラモン(=お坊さんの意)が、ただ儀式を執り行う存在になってしまったのだ。

    そうした外面的な宗教儀礼に対する反省と批判から登場したのが、ウパニシャッド哲学である。より内面的で、心の中で考えることを重視し、バラモン教の聖典であるリグ=ヴェーダの本来の姿である宇宙の根本や普遍的な真実、いわば「世の中の真理」を探究しようとする動きであった。

    ウパニシャッドとは、もともと「近くに座ること」、すなわち「秘儀を伝えること」を意味する。祭司バラモンの師から弟子に伝えられた、口伝の奥義であり、のちに文献化されたものが「奥義書(ウパニシャッド)」と呼ばれている。成立は前500年頃までにさかのぼるとされる。

    「ウパニシャッド(奥義書)」についてもう少し説明を加えよう。

    ウパニシャッド文献は、バラモン教の聖典リグ=ヴェーダの四部構成のうち、第四部にあたる。

    その内容は、哲学的な問い「生命とは何か」「死とは何か」などに正面から取り組むものだった。

    個人の本質である魂=アートマン(我)は不滅であり、たとえ肉体が滅びても存在し続ける。このアートマンが現世の肉体に宿るとき、新しい生命がこの世に誕生する。

    そして、肉体が死を迎えると、アートマンはその身体を離れ、本来の故郷へ、すなわち、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)へと回帰する。それによって、魂は一切の苦しみから解き放たれる。これが解脱である。

    しかし、解脱を果たせなかった魂は、再びこの世に生まれ変わる。肉体を得て地上に戻ることで、また新たな「生」が始まり、「死」を迎え、このようにして永遠に生と死を繰り返す。これが輪廻転生である。

    そしてウパニシャッドの思想家たちは、この永遠の輪廻こそが魂の平安を妨げるものであり、断ち切るべき苦しみの連鎖だと考えた。

    とはいえ、輪廻と聞けば、多くの日本人にとっては、どこか神秘的で美しいイメージを持たれるかもしれない。しかし、インドにおいて輪廻とは、むしろ「苦しみの連鎖」である。

    人生とは本来的に苦しみに満ち、死とはさらに大きな苦しみである。それを何度も繰り返すことは、「望ましくないこと」なのだ。輪廻から早く抜け出す(解脱する)ことこそが、インド思想の重要な目標なのである。

    さて、インドの思想家たちは、そうした人生の苦しみの根本構造を、論理的に考え抜いた。その帰結として、「アートマン(我)とブラフマン(梵)は本質的に同一である」という宇宙の真理、いわゆる梵我一如(ぼんがいちにょ)が生まれた。

    この宇宙の真理、すなわち「梵我一如(ぼんがいちにょ)」を深く理解することができたとき、魂はすべての苦しみから解放され、解脱に至るのだ。

    ただし、その境地に達するためには、生きている間に修行を積む必要がある。この「修行のあり方」をめぐる解釈と実践の違いによって、やがてジャイナ教、仏教、ヒンドゥー教など、さまざまな宗派が生まれていくことになった。

    つまり、インドにおける仏教をはじめとする諸宗教は、ウパニシャッド哲学を母体として成立しているのである。

    では、仏教の祖である釈迦は、この「修行」というものを、いかに定義したのだろうか。

    次回は、そこから話を続けることにしよう。

    【参考文献】

    木村 靖ニ『詳説 世界史探究』山川出版社、2017年。

    宮元 啓一『わかる仏教史』角川ソフィア文庫、2017年。

    渋谷 申博『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』日本文芸社、2019年。

    白取 春彦『完全版 仏教「超」入門』ディスカヴァー・トゥウェンティワン、2018年。

    貫成人『大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる』角川文庫、2019年。

    【タグ】

    哲学,世界哲学,ウパニシャッド,インド思想,仏教前史,宗教哲学,輪廻転生,解脱,梵我一如,ブラフマン,アートマン,東洋思想,思想史,仏教,世界史,宗教史,哲学入門,ワールドフィロソフィー

  • #12 World Philosophy① ゾロアスター教・諸子百家

    昨日は、「言語と哲学」には深いつながりがあること、そしてその関係を理解するためには哲学の歴史をたどる必要があるという結論に至った。しかしながら、そこにおいて想定されていた「哲学」は、あくまで西洋的な視座に立つものであった。

    確かに、現代の学問体系の基礎に位置づけられているのは、輸入された西洋哲学であると言ってよい。だが、物事の根源に問いを立てる営みは、西洋に固有のものではない。東洋においても、中東においても、あるいはもっと小さな共同体の内部においてさえ、人々は「なぜそうなのか」と問うてきた。

    今後、西洋哲学を中心にその展開をたどる予定であるが、それに先立ち、「西洋だけが哲学を生み出した」という物語に無自覚なまま語ることがないように、今回から数回に渡り、いわゆるワールド・フィロソフィー(世界の哲学)の視点にもしばし目を向けておきたい。これは、西洋的視点の相対化という意味でもあり、また同時に、アメリカナイズされた思想的枠組みから一歩引くための試みでもある。

    とりわけ今回は、「知の探究」が人類の歴史においていかに形を取り始めたのか、その初期の顕著な事例として、古代ペルシアのゾロアスター教と、中国の諸子百家の思想を取り上げたい。

    その後、ようやく小浜逸郎『日本語は哲学する言語である』を手がかりに、日本語という言語が持つ特異な構造と思考様式をたどりつつ、改めて西洋哲学の流れに目を向ける予定である。

    さて、「哲学のはじまりは古代ギリシアである」という通念は、今なお広く信じられている。しかし、それ以前に人類が「知とは何か」「いかに生きるべきか」等といった根源的な問いを抱き、それに答えを見出そうとした営みは確かに存在した。

    たとえば、古代ペルシア(現イラン)におけるゾロアスター教が挙げられる。この宗教は、神話のような断片的言語世界ではなく、善と悪の二つの対立という明確な思想体系を提示した。この二つの対立は、人間の自由な意思による倫理的選択を求めた点で、哲学的思索のはじまりと見ることができる。

    創始者ザラシュトラ(Zarathustra)の名は、西洋ではゾロアスターとして知られる。彼が説いた教えは、先に述べた二つの対立、光の神アフラ・マズダ(Ahura Mazda)と闇の神アーリマンの関係を中心とする。

    ちなみに、日本の自動車メーカー「マツダ(Mazda)」の綴りがMATSUDAではなくMAZDAであるのは、このアフラ・マズダにちなんだ命名であることが逸話として知られている。

    さて、この二つが対立するという二元論的世界観は、人間がどちらの方に加担するかを自分で選ぶ責任を強調している。さらに、この宗教は終末には「救世主の到来」と「最後の審判」があると説いた点でも、ユダヤ教・キリスト教・イスラームといった後に続く一神教に深い影響を与えた。

    ゾロアスター教は7世紀にイスラーム勢力のイラン進出によって衰退したものの、一部の信徒たちはインドへと逃れ、パールスィー教徒として現在も信仰を守り続けている。また、中央アジアのソグド人などを通じて東アジアにも伝えられ、中国の唐代では祆教(けんきょう)として一時的に広まった。

    このゾロアスター教の思想は、現代でいうところの「ペルシア哲学」へと連なっていく。ペルシア哲学は、西洋哲学や中国哲学のように明確な体系を持っているわけではないが、地域固有の文脈における「知の伝統」として捉えることはできるだろう。

    さて、次に目を向けたいのは中国である。ここでも「哲学」とよく似た思索の伝統が育まれてきた。その代表格が、諸子百家と総称される、多様な思想家たちである。
    「諸子」とは、さまざまな先生(子は先生のこと)のことであり、「百家」とは、思想的立場、いわば学派(家)のことを意味する。例えば、儒家、墨家、法家、道家などがある。

    まずは儒家。その始祖とされる孔子はあまりにも有名だ。彼の生きた時代は、いわゆる春秋戦国時代。孔子は、すでに崩壊しつつあった「周」の封建的な社会秩序を理想とし、家族的な道徳=仁を中心に据えた思想を展開した。

    中国の封建制は、血縁による主従関係であり、基本的に家族間によるものである。彼の思想における中心概念である「仁」は、血縁に基づく信頼や思いやりの拡張として、君主が人民を家族のように慈しみ、徳によって治めるという政治思想につながる。現代で言えば、「仁義」という言葉に近いかもしれない。孔子の語録を弟子たちがまとめたのが『論語』であり、渋沢栄一が著した『論語と算盤』でもその重要性が強調されている。

    孔子の弟子には多数の思想家がいるが、特に孟子と荀子は対照的な立場を取ったことで知られる。この二人は、「仁」と「徳」の解釈を大きく分けた。

    孟子は、「人間の本性は善である」と主張し、これを性善説と呼ぶ。彼は、天の声すなわち人民の声に耳を傾けることこそ「徳」であり、暴政を敷く君主は打倒されるべきだと考えた(易姓革命)。

    荀子は、「人間の本性は放っておけば悪に流れやすい」と考え、これを性悪説とした。人民を善の方へと導こうとすれば、「礼」すなわち「秩序と教育」が不可欠であり、それを通して初めて徳が生まれるのだと説いた。

    荀子の弟子である韓非は、儒家の「礼」ですら不十分であると見なし、人民を統治するには厳格な法と罰による管理が必要だと考えた。これが法家である。中国最初の統一王朝「秦」は、この思想を取り入れて成立したとされる。なお、「チャイナ(China)」という国名の語源はこの「秦(Qin)」に由来すると言われている。

    儒家に真っ向から異を唱えたのが、墨子を祖とする墨家である。彼は、家族、いわば血縁や階級に関わらず、すべての人を平等に愛すべきだと説いた(兼愛)。また、戦争には断固反対し(非攻)、ただし攻められた場合には徹底的に備えるべきだとも述べている(非行)。

    さらに、道家(老荘思想)にも触れておきたい。老荘というのは、老子・荘子の名前からとられている。彼らは「無為自然」を求めた。動物は戦争もなければ、贅沢や貧困もない。自然の法則(道)に従って生きているだけ。そのような自然に戻ろうとする。すなわち、人為的な秩序や規範を超えて、自然のあり方に従って生きるべきだという思想である。この感覚は、後の禅宗や茶道、俳句などの日本の「道」の文化にも深く影響を与えている。

    このように見てくると、「哲学」はけっしてギリシアに始まったのではなく、各地において異なるかたちで「知の探究」として立ち現れていたことがわかる。世界各地の思索のかたちに耳を傾けることで、私たちはより多元的に「哲学とは何か」という問いに近づいていくことができるだろう。

    次回以降も、西洋哲学以外の哲学、いわゆる「ワールド・フィロソフィー」の事例を紹介しながら、「知を求める営み」が世界でどのように育まれてきたのかを見ていきたい。

    【参考文献】
    貫成人『大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる』角川文庫、2019年。
    木村 靖ニ『詳説 世界史探究』山川出版社、2017年。
    渡辺 精一『諸子百家』角川ソフィア、2020。
    マツダの由来
    https://www.faq.mazda.com/faq/show/6692?category_id=1321&site_domain=default#:~:text=%E7%A4%BE%E5%90%8D%E3%80%8C%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%81%E8%A5%BF,%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A1%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

    【タグ】
    哲学,哲学の起源,ワールドフィロソフィー,ゾロアスター教,諸子百家,東洋思想,古代思想,知の探究,宗教と哲学,思想史

  • #11 哲学はことばに戻ってきた

    哲学と言語に関連があるのかと問われることがある。一見、異なる領域に見えるかもしれないが、実際は、両者の関係は思いのほか深い。

    そもそも「言語学」という学問自体、哲学から派生した側面がある。言語の本質や意味、記号、思考との関係といった問題は、かつて哲学が扱ってきたものであり、そこから徐々に専門性を高めるかたちで、言語学という分野が成立してきた。しかし、興味深いのは20世紀に入ってからの展開である。言語と哲学は、再び接近しはじめる。この動きを指して「言語論的転回(linguistic turn)」と呼ぶ。

    哲学の歴史を大きく三つの転換で捉える見方がある。

    古代の「存在論的転回」、近代の「認識論的転回」、そして現代の「言語論的転回」である。この分類は、あくまで大づかみな整理ではあるが、思索の座標軸として有効である。

    古代の存在論的転回においては、「世界」それ自体のあり方が問いの中心に据えられた。近代になると、「世界を知る私たち」の認識の成立が問題となる。そして現代においては、その「認識」すらも、言語という媒介なしには考えられないのではないか、という疑いから出発する。

    知は、言語によって構成される。そうした視点から、言語の分析を通して哲学的問題にアプローチする姿勢が生まれたのである。これが「言語論的転回」だ。

    この言語論的転回は、もともと分析哲学、つまり英米圏のいわゆるアングロサクソン系哲学の特徴を指す言葉であった。しかしやがて、フランスやドイツといった大陸系の哲学においても、言語という問題が中心的な位置を占めるようになる。

    すなわち、現代哲学の多くは、「言語」を思考の基盤としているのである。

    したがって、哲学と言語の関係は、今日において本質的な問いとなっている。それゆえ、現代哲学を学ぶうえでは、言語の問題を避けて通ることはできない。まして、言語学においても同様である。

    もっとも、こうした現代の動向に至るまでには、当然ながらそれ以前の哲学の流れを押さえておく必要がある。

    そこで次回からは、古代からひとまず近世までの哲学的展開を概観してみたい。以下に、その準備として図を添えておく。

    【参考文献】

    岡本裕一朗『教養として学んでおきたい哲学』マイナビ新書、2019年

    犬竹正幸『よくわかる哲学——古代から現代まで、哲学がわかれば人間がわかる』22世紀アート、2021年

    貫成人『大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる』角川文庫、2019年

    木村 靖ニ『詳説 世界史探究』山川出版社、2017年。

    【タグ】

    哲学史, 言語哲学, 言語論的転回, 存在論, 認識論, 分析哲学, 西洋哲学, 思索, 知の構造, 言語と世界,

  • #10 音と言語、そして「線」の魅力について

    人がことばを理解するには、「音」が不可欠である。

    もちろん文字もことばを構成する一つの部品ではあるが、ことばの根源はやはり「音声」にある。そもそも文字は、ほんの数千年しかまだ使われていない。まして、庶民にまでも文字が広まったのはここ数百年の話であり、「音」を使ったことばよりもずっと若いのだ。

    そもそも音声を正確に捉え、違いを聞き分け、意味を理解する。これは、英語学習を含め、あらゆる語学における最も初歩であり、最も重要な部分であると言える。聞き取ることができなければ、コミュニケーションすら始まらない。

    例えば、日本語の語中で鼻音化する「ん」や英語にある20個の母音(日本語は「あいうえお」とされる)など、聞こえ方ひとつで意味が変わってしまう。

    だからこそ、音についてのこだわりは、ことばについてのこだわりと同義なのだ。

    ところで、みなさんイヤホンに対してこだわりはあるだろうか?

    僕は、昔はAirPods Proを使っていたが、最近はもっぱら有線イヤホン派(EarPods)だ。理由は単純明快。充電要らず・Bluetooth接続不要・遅延なし。

    音質については、正直なところ全くと言って良いほどこだわりがない。先ほど、音に対するこだわりを披露したばかりだが、実のところ「音の違いがわかる」のと「音の違いに感動する」のとは別の話だ。

    僕がイヤホンを使う場面というのは、オンライン講義の聴講や、ポッドキャストで「レディー」と「ジェントルマン」の声を聞くくらい。あまり吐息まで聞き取りたくないので、むしろ(ハイクオリティーな音で聞くよりも)このくらいがちょうどいい。

    それでも、有線イヤホンは気に入っている。それは、「音」を「接続」するというより、「ことば」と「身体感覚」とを繋げてくれる道具だからだ。この感覚はちょうど、印刷された書物を手にとる感覚に似ている。電子書籍も確かに便利だし、僕の蔵書の一部も電子書籍Kindleに移行しているが、紙のページをめくるあの触感には、「ことば」を五感で受け止める喜びがある。有線イヤホンにも、それと似たような「触覚的な安心感」があるのだ。

    言語学では、「意味とは、頭の中だけで生まれるのではなく、身体的経験に深く根差している」と考える立場がある(認知言語学の中核的な考え方)。そのことから考えれば、言葉の理解も、単なる情報処理ではなく、身体感覚と結びついた「経験」として捉えることができる。そう考えると、紙の本や有線イヤホンが持つアナログ的なあの感触も、決して無駄ではない。いや、むしろ、ことばを立体的に感じるための、重要な媒介なのかもしれない。

    もっとも、僕の生活環境はかなりデジタル化が進んでいる。本とメモ帳以外は、ほとんどすべてデジタルに移行した。教科書も辞書もiPad、予定はGoogleカレンダー、そして学習記録のノートすら、このサイトが代替している。

    そんな自称ハイテクな僕でさえ、イヤホンは有線なのだ。(本とメモ帳が紙のままなのは、また別の記事にて。)

    というわけで、今日はひとつ、皆様をEarPodsの布教へと誘いたい。有線イヤホンの世界へ、ようこそ。

    ここからは、単純に有線イヤホンの良いところを挙げておきたい。

    ① 安い

    まず何より、財布に優しい。言語の発達が必ずしも高価な道具に依存してこなかったように、音声を扱う機器にも高級であることは必要ない!

    ② 充電不要(環境に良い?)

    毎晩の充電から解放される。言語は日々使われてこそ研ぎ澄まされるものだが、道具のメンテナンスに気を取られていては本末転倒。また電気を使わないから環境にも良いだろう。

    ③ Bluetooth接続不要

    つながる・つながらない、といったストレスからの解放。話しかけても相手に声が届かなければ会話は成立しない。無線の不安定さは、まるで雑踏の中で会話をするようなものなのだ。

    ④ iPhoneの充電持ちが良くなる

    省電力という意味でも、無線より有線に軍配が上がる。話す・聴くという生理的行為を支える道具は、安定して稼働してくれることが大切だ。

    ⑤ 軽い

    重厚さではなく、軽やかさ。これは言葉づかいにも通じる。有線の物理的な軽さは、持ち運びやすさだけでなく、身体との親和性を高めてくれる。

    ⑥ 洗濯しても聞こえる

    ついポケットに入れたまま洗ってしまっても、なぜか無事なことが多い。壊れにくいというのは、どんなツールにとっても大きな強みだ。

    ⑦ 音質が良い

    言葉の繊細なイントネーション、アクセント、息遣い。これらを余すところなく伝えてくれる。とくに語学学習では、「曖昧母音」や「脱落音」を聴き分ける耳をつくることが大切で、そのためにはクリアな音質が欠かせない。

    ⑧ マイクの音質も良い

    話す側の信頼性も担保される。言語とは、発信と受信の双方が支え合う営みであり、どちらかが崩れると、対話は成り立たない。

    言葉の響きを、できるかぎり鮮明に、誤解なく届ける。

    その基本に立ち返ると、案外、有線イヤホンは理にかなっている。

    まるで、話すこと・聞くことの原初的な回路を取り戻すように。

    【参考文献】

    大堀 壽夫『認知言語学』東京大学出版会、2002年。

    木村 靖ニ『詳説 世界史探究』山川出版社、2017年。

    盛 庸「鼻濁音」『日医ニュース』、2019年9月5日。(青森県 南黒医師会報 第97号より転載)

    Wood, S. (2024, April 30). How many vowel sounds does English have? Babbel Magazine. https://www.babbel.com/en/magazine/english-vowel-sounds

    【タグ】

    有線イヤホン, 認知言語学,言語理解,文字,音

  • #9 斬れる英語と英語学習法

    僕の英語学習について尋ねられることが時折ある。そのたびに、つい説明がましく、ややこしいことを言ってきたように思う。というのも、これまで実に多様な学習法に手を出してきたからである。

    だが、最近の学習はきわめて単純である。もっぱら、アメリカのニュース雑誌『TIME』を読み、リスニングについては『New York Times Audio』を利用している。それだけだ。

    みなさんが思われているような、いわゆる文法問題を解いたり、リスニング問題を解いたりすることは、ほとんどない。

    もちろん、「文法」と言われる分野にまったく触れていないわけではない。英語学の総論的な本や、統語論、認知言語学といった言語学に関する本を読むことはある。ただし、それは文法問題を解けるようになるためというよりも、言語そのものの仕組みに関心があるからであって、一般的な意味での「文法学習」とは少し違う

    それでも、文法問題が解けなくなったとか、解けてもその根本が理解できない、というようなことはない。むしろ、日々、英語力は確実に育っているという実感がある。というのも、僕は日常的に英語を教える機会が多く、また週に数回、英語を使う必要のある施設でも働いているからだ。そのおかげで、学校英語的な理論も、話すときの感覚も、衰えてはいない。

    とはいえ、だからといって「読む・聴く」というインプットの訓練を怠っているわけではない。むしろ、これまで以上に意識して取り組んでいる。その中で、冒頭に挙げた『TIME』や『New York Times Audio』は非常に役に立っている。
    ただ、せっかくこうして学習の記録を保管できる場所があるのに、それを活用していないのはもったいない気がしてきた。

    というわけで、これからは、『TIME』や『New York Times Audio』から得た「覚えておきたい」あるいは「使えるようになりたい」英語表現・語彙などを記録・紹介していこうと思う。

    ここまでは、あくまでその告知である。
    なぜ僕が今、『TIME』を読むのか。その理由についても少し触れておきたい。

    僕は、今は亡き同時通訳者・松本道弘を英語の師と仰いでいる。彼は英語と武道を重ね合わせ、「英語道」という独自の理念を築いた人物だ。海外経験がなかったにもかかわらず、その英語は「斬れる英語」だった。

    「斬れる英語」というのも彼の造語で、日本人が使いがちな、息の詰まった硬直した英語ではなく、自在で鋭く、生きた英語のことを指している。
    僕はまだ、「斬れる英語」を使えてはいない。その「斬れる英語」を使えるようになるために、僕は今も英語を学び続けている。

    松本道弘は『TIME』を主要なインプット源としていた。そして、それを強く勧めてもいた。僕はその姿勢に感化され、自分も『TIME』を読むことにしたのだ。

    彼の理論によれば、英語習得の道には「迷人 → 鉄人 → 達人 → 名人」という段階があるという。僕自身は今、「鉄人」と「達人」の間にいると感じている。

    鉄人とは、単語を一つひとつ追うのではなく、英語をセンテンス単位で読めるようになった状態を指す。達人とは、行間を読み、文の背後にある「ハート」、つまり文脈や話者の思いまでも読み取ることができる段階である。もちろん、これは読み手としての話だけでなく、書き手・話し手としても同じことが求められる。

    僕の英語は、まだ肩に力が入りすぎていて、その「ハート」を感じ取るまでには至っていない。どうしても英文を追いかけるように読んでしまい、ニュースとして楽しめてはいない。つまり、まだ『TIME』を「読んでいる」というより、「必死に追いかけている」という段階にある。

    松本氏は「鉄人」の段階でこそ、多読・手書き・英英辞典の活用が重要だと言っている。僕もそれに倣って、今後はさらにそれらを意識的に続けていきたいと考えている。

    もちろん将来的には、「斬れる英語」を口にできるだけでなく、それにふさわしい英語を書き、読みこなす力も備えていかなければならない。
    そのためにこそ、『TIME』のような高密度・高品質な英語を、繰り返し読み、手を動かしてそうした力を身につけていきたいと考えている。

    この場所に、その学習の記録を少しずつ残していこうと思う。
    どうか、温かく見守っていただきたい。

    【参考文献】
    松本道弘『「タイム」を読んで英語名人』講談社+α新書、2000年。

    【タグ】
    英語学習,同時通訳,TIME,松本道弘,英語道,学習記録,英語読解

  • #8 All Roads Lead to Logos

    全ての道はローマに通ず。

    この有名なことわざは、12世紀のフランス神学者アラン・ド・リール(Alain de Lille)によるラテン語の格言に由来する。

    Mille viae ducunt homines per saecula Romam,

    Qui Dominum toto quaerere corde volunt.

    (千の道が時を超えて人々をローマへ導く。主を全身全霊で求める者たちにとって。)

    現代では「手段は違っていても同じ目的に達すること、真理は一つであること」といった意味で用いられる。我々が知るこのことわざは、日本語は英語の “All roads lead to Rome.” や、フランス語の “Tous les chemins mènent à Rome.” から輸入されたのであろう。

    この言葉を学問に敷衍するならば、こう言うことができる。

    「すべての学問は哲学に通ず」

    学問を深めていくと、次第に個別の問いが、より根本的な問いへと収束していく。そこに立ち現れるのが「哲学」である。

    そもそも「哲学」の語源である philosophia は、古代ギリシア語で「知を愛すること」を意味し、当時はあらゆる学問を包括する言葉として用いられていた。科学や芸術、なども哲学の一部であった。それぞれが細分化され、発展していったことで、現代の多様な学問分野が成立している。

    言語学もその例外ではない。音声、語彙、文法、意味といった言葉の形や使われ方をどんどん突き詰めていくと、必然的に「人はなぜことばを持つのか」「ことばは思考とどう関わるのか」といったような根源的な問い(哲学)に行き着くのだ。

    したがって、言語学とは、哲学へと通じる一つの道である。そしてその道は、まさに「全ての道はローマに通ず」の精神と重なるものだと言える。

    さて、実のところ、この記事を書く本来の目的は、岩波新書の『言語哲学がはじまる』(野矢茂樹)をまとめ、学習の記録として残しておくことにあった。

    ただ、その前に、どうしても哲学史の大まかな流れを一度整理しておきたくなり、今回はその準備として、こうして筆をとった。

    今後、高校生にもわかるような哲学史の入門書を手がかりにしながら、自分なりに咀嚼し、つたないながらも僕自身が考えたことや関連知識を少しずつ書き留めていければと思っている。

    【参考文献】

    野矢茂樹『言語哲学がはじまる』、岩波新書、2020年。

    Alain de Lille(アラン・ド・リール)によるラテン語の格言

    ※出典として明示されることが少ないため、原典確認は困難ですが、以下のような文献に言及が見られます。 Curtius, Ernst Robert. European Literature and the Latin Middle Ages. Princeton University Press, 1953.  引用格言: Mille viae ducunt homines per saecula Romam, Qui Dominum toto quaerere corde volunt.

    【タグ】

    哲学, 言語学, 言語哲学, 西洋思想史, 学問の起源, 知の系譜, 野矢茂樹, 哲学史入門