昨日は、「言語と哲学」には深いつながりがあること、そしてその関係を理解するためには哲学の歴史をたどる必要があるという結論に至った。しかしながら、そこにおいて想定されていた「哲学」は、あくまで西洋的な視座に立つものであった。
確かに、現代の学問体系の基礎に位置づけられているのは、輸入された西洋哲学であると言ってよい。だが、物事の根源に問いを立てる営みは、西洋に固有のものではない。東洋においても、中東においても、あるいはもっと小さな共同体の内部においてさえ、人々は「なぜそうなのか」と問うてきた。
今後、西洋哲学を中心にその展開をたどる予定であるが、それに先立ち、「西洋だけが哲学を生み出した」という物語に無自覚なまま語ることがないように、今回から数回に渡り、いわゆるワールド・フィロソフィー(世界の哲学)の視点にもしばし目を向けておきたい。これは、西洋的視点の相対化という意味でもあり、また同時に、アメリカナイズされた思想的枠組みから一歩引くための試みでもある。
とりわけ今回は、「知の探究」が人類の歴史においていかに形を取り始めたのか、その初期の顕著な事例として、古代ペルシアのゾロアスター教と、中国の諸子百家の思想を取り上げたい。
その後、ようやく小浜逸郎『日本語は哲学する言語である』を手がかりに、日本語という言語が持つ特異な構造と思考様式をたどりつつ、改めて西洋哲学の流れに目を向ける予定である。
さて、「哲学のはじまりは古代ギリシアである」という通念は、今なお広く信じられている。しかし、それ以前に人類が「知とは何か」「いかに生きるべきか」等といった根源的な問いを抱き、それに答えを見出そうとした営みは確かに存在した。
たとえば、古代ペルシア(現イラン)におけるゾロアスター教が挙げられる。この宗教は、神話のような断片的言語世界ではなく、善と悪の二つの対立という明確な思想体系を提示した。この二つの対立は、人間の自由な意思による倫理的選択を求めた点で、哲学的思索のはじまりと見ることができる。
創始者ザラシュトラ(Zarathustra)の名は、西洋ではゾロアスターとして知られる。彼が説いた教えは、先に述べた二つの対立、光の神アフラ・マズダ(Ahura Mazda)と闇の神アーリマンの関係を中心とする。
ちなみに、日本の自動車メーカー「マツダ(Mazda)」の綴りがMATSUDAではなくMAZDAであるのは、このアフラ・マズダにちなんだ命名であることが逸話として知られている。
さて、この二つが対立するという二元論的世界観は、人間がどちらの方に加担するかを自分で選ぶ責任を強調している。さらに、この宗教は終末には「救世主の到来」と「最後の審判」があると説いた点でも、ユダヤ教・キリスト教・イスラームといった後に続く一神教に深い影響を与えた。
ゾロアスター教は7世紀にイスラーム勢力のイラン進出によって衰退したものの、一部の信徒たちはインドへと逃れ、パールスィー教徒として現在も信仰を守り続けている。また、中央アジアのソグド人などを通じて東アジアにも伝えられ、中国の唐代では祆教(けんきょう)として一時的に広まった。
このゾロアスター教の思想は、現代でいうところの「ペルシア哲学」へと連なっていく。ペルシア哲学は、西洋哲学や中国哲学のように明確な体系を持っているわけではないが、地域固有の文脈における「知の伝統」として捉えることはできるだろう。
さて、次に目を向けたいのは中国である。ここでも「哲学」とよく似た思索の伝統が育まれてきた。その代表格が、諸子百家と総称される、多様な思想家たちである。
「諸子」とは、さまざまな先生(子は先生のこと)のことであり、「百家」とは、思想的立場、いわば学派(家)のことを意味する。例えば、儒家、墨家、法家、道家などがある。
まずは儒家。その始祖とされる孔子はあまりにも有名だ。彼の生きた時代は、いわゆる春秋戦国時代。孔子は、すでに崩壊しつつあった「周」の封建的な社会秩序を理想とし、家族的な道徳=仁を中心に据えた思想を展開した。
中国の封建制は、血縁による主従関係であり、基本的に家族間によるものである。彼の思想における中心概念である「仁」は、血縁に基づく信頼や思いやりの拡張として、君主が人民を家族のように慈しみ、徳によって治めるという政治思想につながる。現代で言えば、「仁義」という言葉に近いかもしれない。孔子の語録を弟子たちがまとめたのが『論語』であり、渋沢栄一が著した『論語と算盤』でもその重要性が強調されている。
孔子の弟子には多数の思想家がいるが、特に孟子と荀子は対照的な立場を取ったことで知られる。この二人は、「仁」と「徳」の解釈を大きく分けた。
孟子は、「人間の本性は善である」と主張し、これを性善説と呼ぶ。彼は、天の声すなわち人民の声に耳を傾けることこそ「徳」であり、暴政を敷く君主は打倒されるべきだと考えた(易姓革命)。
荀子は、「人間の本性は放っておけば悪に流れやすい」と考え、これを性悪説とした。人民を善の方へと導こうとすれば、「礼」すなわち「秩序と教育」が不可欠であり、それを通して初めて徳が生まれるのだと説いた。
荀子の弟子である韓非は、儒家の「礼」ですら不十分であると見なし、人民を統治するには厳格な法と罰による管理が必要だと考えた。これが法家である。中国最初の統一王朝「秦」は、この思想を取り入れて成立したとされる。なお、「チャイナ(China)」という国名の語源はこの「秦(Qin)」に由来すると言われている。
儒家に真っ向から異を唱えたのが、墨子を祖とする墨家である。彼は、家族、いわば血縁や階級に関わらず、すべての人を平等に愛すべきだと説いた(兼愛)。また、戦争には断固反対し(非攻)、ただし攻められた場合には徹底的に備えるべきだとも述べている(非行)。
さらに、道家(老荘思想)にも触れておきたい。老荘というのは、老子・荘子の名前からとられている。彼らは「無為自然」を求めた。動物は戦争もなければ、贅沢や貧困もない。自然の法則(道)に従って生きているだけ。そのような自然に戻ろうとする。すなわち、人為的な秩序や規範を超えて、自然のあり方に従って生きるべきだという思想である。この感覚は、後の禅宗や茶道、俳句などの日本の「道」の文化にも深く影響を与えている。
このように見てくると、「哲学」はけっしてギリシアに始まったのではなく、各地において異なるかたちで「知の探究」として立ち現れていたことがわかる。世界各地の思索のかたちに耳を傾けることで、私たちはより多元的に「哲学とは何か」という問いに近づいていくことができるだろう。
次回以降も、西洋哲学以外の哲学、いわゆる「ワールド・フィロソフィー」の事例を紹介しながら、「知を求める営み」が世界でどのように育まれてきたのかを見ていきたい。
【参考文献】
貫成人『大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる』角川文庫、2019年。
木村 靖ニ『詳説 世界史探究』山川出版社、2017年。
渡辺 精一『諸子百家』角川ソフィア、2020。
マツダの由来
https://www.faq.mazda.com/faq/show/6692?category_id=1321&site_domain=default#:~:text=%E7%A4%BE%E5%90%8D%E3%80%8C%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%81%E8%A5%BF,%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A1%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
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