カテゴリー: Daily Life

  • #17 包丁販売で学ぶ英語!料理用語の発見?

    語学学習も兼ねて今日から包丁を販売するアルバイトを始めた。そこで気づいたのは、論文などに書かれている英語は確かに難しいものの、何とか読める。一方で、料理関連の語彙については、ほとんど知らないということだった。

    そこで、自分の英語学習の一環として、包丁の種類に関する英語表現と、包丁を使った切り方の英語表現を、ここに残しておきたい。

    〈包丁の種類〉

    以下では、英語のほうが使用頻度が高いため、英語→日本語の順で表記する。

    ①Chef’s Knife

    牛刀

    三徳包丁

    ②Utility Knife

    三徳包丁

    ペティナイフ

    ③Vegetable Cleaver(野菜専用の平刃包丁) 

    菜切り包丁

    ④Paring Knife

    ペティナイフ

    ⑤Slicing Knife / Carving Knife

    すじ引き包丁

    柳刃包丁

    〈包丁の部品〉

    〈切り方の英語〉

    ① cut(切る)

    This knife can cut through hard vegetables like pumpkin easily.

    Be careful when you cut! The blade is very sharp.

    ② slice(スライスする・薄く切る)

    You can slice tomatoes very thinly with this knife.

    It’s perfect for slicing meat or sashimi.

    ③ chop(ざく切りにする・粗く刻む)

    This one is good for chopping vegetables quickly. You can chop onions, carrots, and other hard vegetables easily.

    ④ dice(さいの目に切る)

    You can dice the onions into small cubes for curry or stew.

    Diced vegetables cook more quickly and evenly.

    ⑤ mince(みじん切りにする)

    ※アメリカ英語では「chop finely」でもOK

    Use the tip to mince garlic very finely.

    This knife helps you mince herbs without crushing them.

    ⑥ shred(細く切る・細かく裂く)

    You can shred cabbage for coleslaw or okonomiyaki.

    The sharp edge makes it easy to shred even soft vegetables.

    ⑦ julienne [dʒuːliˈen](千切りにする)

    ※やや専門的

    You can julienne carrots or daikon for salad or garnish.

    Julienned vegetables look beautiful and cook evenly.

    今後、これ以外にも料理に関する英語表現をもっと共有したい。

    【参考文献】

    脇山 怜(編集)『暮らしの英語がわかる事典』ジャパンタイムズ、2001年。

    南出 康世(編集)『ジーニアス英和辞典 第6版』大修館書店、2022年。

    ※例文等の一部はchat gptを使用しています。

    【タグ】

    語学, 英語, 語彙学習, 実用語彙, 料理, 包丁の名前, 専門用語, 言葉の観察

  • #10 音と言語、そして「線」の魅力について

    人がことばを理解するには、「音」が不可欠である。

    もちろん文字もことばを構成する一つの部品ではあるが、ことばの根源はやはり「音声」にある。そもそも文字は、ほんの数千年しかまだ使われていない。まして、庶民にまでも文字が広まったのはここ数百年の話であり、「音」を使ったことばよりもずっと若いのだ。

    そもそも音声を正確に捉え、違いを聞き分け、意味を理解する。これは、英語学習を含め、あらゆる語学における最も初歩であり、最も重要な部分であると言える。聞き取ることができなければ、コミュニケーションすら始まらない。

    例えば、日本語の語中で鼻音化する「ん」や英語にある20個の母音(日本語は「あいうえお」とされる)など、聞こえ方ひとつで意味が変わってしまう。

    だからこそ、音についてのこだわりは、ことばについてのこだわりと同義なのだ。

    ところで、みなさんイヤホンに対してこだわりはあるだろうか?

    僕は、昔はAirPods Proを使っていたが、最近はもっぱら有線イヤホン派(EarPods)だ。理由は単純明快。充電要らず・Bluetooth接続不要・遅延なし。

    音質については、正直なところ全くと言って良いほどこだわりがない。先ほど、音に対するこだわりを披露したばかりだが、実のところ「音の違いがわかる」のと「音の違いに感動する」のとは別の話だ。

    僕がイヤホンを使う場面というのは、オンライン講義の聴講や、ポッドキャストで「レディー」と「ジェントルマン」の声を聞くくらい。あまり吐息まで聞き取りたくないので、むしろ(ハイクオリティーな音で聞くよりも)このくらいがちょうどいい。

    それでも、有線イヤホンは気に入っている。それは、「音」を「接続」するというより、「ことば」と「身体感覚」とを繋げてくれる道具だからだ。この感覚はちょうど、印刷された書物を手にとる感覚に似ている。電子書籍も確かに便利だし、僕の蔵書の一部も電子書籍Kindleに移行しているが、紙のページをめくるあの触感には、「ことば」を五感で受け止める喜びがある。有線イヤホンにも、それと似たような「触覚的な安心感」があるのだ。

    言語学では、「意味とは、頭の中だけで生まれるのではなく、身体的経験に深く根差している」と考える立場がある(認知言語学の中核的な考え方)。そのことから考えれば、言葉の理解も、単なる情報処理ではなく、身体感覚と結びついた「経験」として捉えることができる。そう考えると、紙の本や有線イヤホンが持つアナログ的なあの感触も、決して無駄ではない。いや、むしろ、ことばを立体的に感じるための、重要な媒介なのかもしれない。

    もっとも、僕の生活環境はかなりデジタル化が進んでいる。本とメモ帳以外は、ほとんどすべてデジタルに移行した。教科書も辞書もiPad、予定はGoogleカレンダー、そして学習記録のノートすら、このサイトが代替している。

    そんな自称ハイテクな僕でさえ、イヤホンは有線なのだ。(本とメモ帳が紙のままなのは、また別の記事にて。)

    というわけで、今日はひとつ、皆様をEarPodsの布教へと誘いたい。有線イヤホンの世界へ、ようこそ。

    ここからは、単純に有線イヤホンの良いところを挙げておきたい。

    ① 安い

    まず何より、財布に優しい。言語の発達が必ずしも高価な道具に依存してこなかったように、音声を扱う機器にも高級であることは必要ない!

    ② 充電不要(環境に良い?)

    毎晩の充電から解放される。言語は日々使われてこそ研ぎ澄まされるものだが、道具のメンテナンスに気を取られていては本末転倒。また電気を使わないから環境にも良いだろう。

    ③ Bluetooth接続不要

    つながる・つながらない、といったストレスからの解放。話しかけても相手に声が届かなければ会話は成立しない。無線の不安定さは、まるで雑踏の中で会話をするようなものなのだ。

    ④ iPhoneの充電持ちが良くなる

    省電力という意味でも、無線より有線に軍配が上がる。話す・聴くという生理的行為を支える道具は、安定して稼働してくれることが大切だ。

    ⑤ 軽い

    重厚さではなく、軽やかさ。これは言葉づかいにも通じる。有線の物理的な軽さは、持ち運びやすさだけでなく、身体との親和性を高めてくれる。

    ⑥ 洗濯しても聞こえる

    ついポケットに入れたまま洗ってしまっても、なぜか無事なことが多い。壊れにくいというのは、どんなツールにとっても大きな強みだ。

    ⑦ 音質が良い

    言葉の繊細なイントネーション、アクセント、息遣い。これらを余すところなく伝えてくれる。とくに語学学習では、「曖昧母音」や「脱落音」を聴き分ける耳をつくることが大切で、そのためにはクリアな音質が欠かせない。

    ⑧ マイクの音質も良い

    話す側の信頼性も担保される。言語とは、発信と受信の双方が支え合う営みであり、どちらかが崩れると、対話は成り立たない。

    言葉の響きを、できるかぎり鮮明に、誤解なく届ける。

    その基本に立ち返ると、案外、有線イヤホンは理にかなっている。

    まるで、話すこと・聞くことの原初的な回路を取り戻すように。

    【参考文献】

    大堀 壽夫『認知言語学』東京大学出版会、2002年。

    木村 靖ニ『詳説 世界史探究』山川出版社、2017年。

    盛 庸「鼻濁音」『日医ニュース』、2019年9月5日。(青森県 南黒医師会報 第97号より転載)

    Wood, S. (2024, April 30). How many vowel sounds does English have? Babbel Magazine. https://www.babbel.com/en/magazine/english-vowel-sounds

    【タグ】

    有線イヤホン, 認知言語学,言語理解,文字,音

  • #9 斬れる英語と英語学習法

    僕の英語学習について尋ねられることが時折ある。そのたびに、つい説明がましく、ややこしいことを言ってきたように思う。というのも、これまで実に多様な学習法に手を出してきたからである。

    だが、最近の学習はきわめて単純である。もっぱら、アメリカのニュース雑誌『TIME』を読み、リスニングについては『New York Times Audio』を利用している。それだけだ。

    みなさんが思われているような、いわゆる文法問題を解いたり、リスニング問題を解いたりすることは、ほとんどない。

    もちろん、「文法」と言われる分野にまったく触れていないわけではない。英語学の総論的な本や、統語論、認知言語学といった言語学に関する本を読むことはある。ただし、それは文法問題を解けるようになるためというよりも、言語そのものの仕組みに関心があるからであって、一般的な意味での「文法学習」とは少し違う

    それでも、文法問題が解けなくなったとか、解けてもその根本が理解できない、というようなことはない。むしろ、日々、英語力は確実に育っているという実感がある。というのも、僕は日常的に英語を教える機会が多く、また週に数回、英語を使う必要のある施設でも働いているからだ。そのおかげで、学校英語的な理論も、話すときの感覚も、衰えてはいない。

    とはいえ、だからといって「読む・聴く」というインプットの訓練を怠っているわけではない。むしろ、これまで以上に意識して取り組んでいる。その中で、冒頭に挙げた『TIME』や『New York Times Audio』は非常に役に立っている。
    ただ、せっかくこうして学習の記録を保管できる場所があるのに、それを活用していないのはもったいない気がしてきた。

    というわけで、これからは、『TIME』や『New York Times Audio』から得た「覚えておきたい」あるいは「使えるようになりたい」英語表現・語彙などを記録・紹介していこうと思う。

    ここまでは、あくまでその告知である。
    なぜ僕が今、『TIME』を読むのか。その理由についても少し触れておきたい。

    僕は、今は亡き同時通訳者・松本道弘を英語の師と仰いでいる。彼は英語と武道を重ね合わせ、「英語道」という独自の理念を築いた人物だ。海外経験がなかったにもかかわらず、その英語は「斬れる英語」だった。

    「斬れる英語」というのも彼の造語で、日本人が使いがちな、息の詰まった硬直した英語ではなく、自在で鋭く、生きた英語のことを指している。
    僕はまだ、「斬れる英語」を使えてはいない。その「斬れる英語」を使えるようになるために、僕は今も英語を学び続けている。

    松本道弘は『TIME』を主要なインプット源としていた。そして、それを強く勧めてもいた。僕はその姿勢に感化され、自分も『TIME』を読むことにしたのだ。

    彼の理論によれば、英語習得の道には「迷人 → 鉄人 → 達人 → 名人」という段階があるという。僕自身は今、「鉄人」と「達人」の間にいると感じている。

    鉄人とは、単語を一つひとつ追うのではなく、英語をセンテンス単位で読めるようになった状態を指す。達人とは、行間を読み、文の背後にある「ハート」、つまり文脈や話者の思いまでも読み取ることができる段階である。もちろん、これは読み手としての話だけでなく、書き手・話し手としても同じことが求められる。

    僕の英語は、まだ肩に力が入りすぎていて、その「ハート」を感じ取るまでには至っていない。どうしても英文を追いかけるように読んでしまい、ニュースとして楽しめてはいない。つまり、まだ『TIME』を「読んでいる」というより、「必死に追いかけている」という段階にある。

    松本氏は「鉄人」の段階でこそ、多読・手書き・英英辞典の活用が重要だと言っている。僕もそれに倣って、今後はさらにそれらを意識的に続けていきたいと考えている。

    もちろん将来的には、「斬れる英語」を口にできるだけでなく、それにふさわしい英語を書き、読みこなす力も備えていかなければならない。
    そのためにこそ、『TIME』のような高密度・高品質な英語を、繰り返し読み、手を動かしてそうした力を身につけていきたいと考えている。

    この場所に、その学習の記録を少しずつ残していこうと思う。
    どうか、温かく見守っていただきたい。

    【参考文献】
    松本道弘『「タイム」を読んで英語名人』講談社+α新書、2000年。

    【タグ】
    英語学習,同時通訳,TIME,松本道弘,英語道,学習記録,英語読解

  • #5 三足の草鞋

    昨日、三足の草鞋を履きたいという話をした。すなわち、弁護士・心理士・学者として、それぞれの専門性を持ちつつ社会に貢献するという道である。しかし、そのための現時点での具体的なステップについては、まだ話していなかった。

    まず、弁護士としての道について。現在、司法試験を受けるための試験である予備試験に向けて、予備校を活用しながら日々学習を続けている。ただし、今年の合格は、正直なところ非常に厳しいと感じている。悔しさはあるが、現実として受け止める必要がある。そのため、今年は行政書士試験に確実に合格することを一つの通過点としたい。ただし、あくまでこれは司法試験合格のためのステップである。理想は、「司法試験の勉強をしていた延長線上に、結果として行政書士に合格していた」という形だ。主軸はあくまで司法試験であり、行政書士試験はその補助的な意味を持つに過ぎない。

    次に、心理士としての準備について。こちらも中長期的な視点が必要である。まずは心理学の知識を広く網羅的に習得することが不可欠であり、その初動として、2026年より心理学検定1級の取得を目指す予定だ。司法試験の学習の合間、あるいは息抜きとして、1日30分〜60分の学習時間を確保し、夏の検定試験(予備試験終了直後)に臨むつもりである。具体的な学習内容や計画は、2026年になってから「ことばノート」にて随時記録・共有していく。

    言語学者としては、まずは前提として、学部の卒業論文を通じて専門的な知識の獲得と整理を進めていくことになる。2025年および2026年の2年間で、学問的な知見を深めながら、そこから得られた理論や発見を、この「ことばノート」を通じて言語化していきたい。

    兎にも角にも、現時点において最も高い壁であるのは、やはり司法試験予備試験の合格である。三足の草鞋を成立させるためにも、まずはこの最初の一足(司法の草鞋)を確実に履きこなすことが、何よりも重要だ。

    最後に、「ことばノート」の意義について述べ、締め括ろう。

    第一に、これは僕にとって「検索可能なノート」であるという点が大きい。自分が関心を持つすべての領域(言語学、心理学、法学以外にも教育学など)を一か所に集約できる場所として設計している。ここにある検索機能は、僕の記憶の補助装置としても機能し、必要な情報をすぐに呼び出せるという意味で、実用的だ。そして何より、これはほとんど僕自身のために記録しているものなので、内容や表現に過度な制約を設ける必要もない。雑多であって構わないのだ。

    第二に、「見られている」という感覚も、ある種の動機付けとして作用している。昨日は、Robert Cialdiniの Influence: Science and Practice や、Peter Gollwitzerの「目標の自動化」理論を紹介したが、まさにああいった理論が僕自身にも働いていると感じる。目標を言語化し、他者の目に触れる形で共有することで、自己規律が強化されていく感覚がある。

    前回も引用したため、Influence: Science and Practice の人を動かす6つのアプローチを、改めて全て先に紹介しておこう。これは、アメリカの社会心理学者・Robert Cialdiniが提唱したもので、人間が他者のどんな影響を受け、行動しているのかを示している。

    ① Reciprocity(返報性):人は何かを受け取ると、それに対し、何かを返さなければならないという心理的な義務感を抱く傾向がある。

    ② Commitment and Consistency(一貫性):一度表明した意見や行動と整合するように、その後の行動を選択する傾向がある。

    ③ Social Proof(社会的証明):多数の人々が行っていることを「正しい」と認識し、それに従おうとする傾向がある。

    ④ Liking(好意):好意(好感)を持つ人からの提案や依頼には、他と比べより従いやすくなる傾向がある。

    ⑤ Authority(権威):専門家や高い地位にある人の言動に人は、流されやすいという傾向がある。

    ⑥ Scarcity(希少性):数や時間に限りのあるものには、より高い価値を見出し、行動が促されやすくなるという傾向がある。

    話を戻して、第三に、この「ことばノート」は、ある種の硬めのプロフィールとしても機能しうる。大学院のこれからの指導教員や教授陣に対して、自分がどのような関心を持ち、どのような知的スタンスを取っているかを伝える資料として活用できるし、また、知的関心を共有する新しい友人との対話の入口にもなる。これはCialdiniの言うところの「返報性の原理(reciprocity)」にも通じる側面があるだろう。自分の内面を開示することは、相手の内面を引き出す誘因にもなる。

    第四に、僭越ながら、このノートにはある程度の社会的意義もあるのではないかと考えている。僕は、「法」「こころ」「ことば」という三領域をまたぐ姿勢をとっているが、これらを横断しながら知識を整理・統合する営み自体が、「専門性の分断」に対する一つの応答(アンチテーゼ)となりうる。言い換えれば、「ことばノート」は、ある特定の学問領域の断片(点と点を)を橋渡しする(線にする)ための私的実験であり、他の誰かにとっても、専門領域の垣根を越える学びのロールモデルになれればと願っている。また、ここに書かれる内容の一部は、比較的難解な学術書や論文を、僕なりの視点と言葉で咀嚼し直したものである。そうした再構成は、ひとつの教育的試みとも言えるかもしれない。英語についての記述も含め、ことばを通して知の広がりと深化を促す場にしたい。そして、僕自身の内面と、社会的な営みがどのように「ことば」を通じて結ばれていくか、その軌跡を残していく。もしそれが、どこかの誰かの思索のきっかけや、学びのモチベーションになれば、それはこの上ない喜びである。

    【参考文献】

    Cialdini, R. B. (2001). Influence: Science and Practice (4th ed.). Allyn & Bacon.

    【タグ】

    社会心理学, 説得理論, 動機づけ, 行動経済学, コミュニケーション理論, 目標達成, 認知心理学, 人間行動, 心理学

  • #4 言霊のなぜ

    将来の夢を語らうのは、どこか気恥ずかしいものだ。たとえ心の中で本気で信じていたとしても、それが叶わなかったときのことを想像してしまう。それに、おとぎ話の世界では「夢を口にすると叶わない」とも言う。

    一方で、日本には古くから「言霊(ことだま)」という考え方もある。言葉には力が宿り、それを声に出すことで、その力が現実に作用するというのだ。

    いささか信じがたいとも感じる「言霊」だが、実はこの考え方は、現代の脳科学や心理学の視点からも、意外なことに支持されている。

    「夢を語ること」、すなわち目標や自分の意志を言葉にして外に出す(=アウトプット)ことが、心理的にも行動的にも重要だというのだ。

    以下に、いくつかの研究を紹介しよう。

    まずは、アメリカの社会心理学者・Robert Cialdiniの著書 Influence: Science and Practice を見てみよう。この本では、人を動かす6つのアプローチが紹介されている。その中のひとつが”Commitment and consistency”である。

    これは、「人は一度言葉にして意思表示をすると、その発言や立場に一貫性を保とうとする」という心理的傾向を指している。たとえば、夢を「語る」ことで、自分の中にその目標への責任感が生まれ、行動もそれに沿って変わっていく。

    次に紹介したいのが、ドイツの心理学者・Peter Gollwitzerが提唱する「目標の自動化」という考え方だ。彼によれば、人は目標をできるだけ明確にし、状況と結びつけておくだけで、脳が自動的にその目標達成に向けて動き出すという。

    こうした効果に「〇〇効果」という名前をつけたくなるのが脳科学や心理学の性(さが)ではあるが常ではないことを言及しておく。とはいえ、ここでは深入りしないでおこう。今後のブログでは、信頼に足る研究者が書いた本を取り上げ、自分なりの視点で解釈しながら紹介していく予定だ。

    さて、ここまでを踏まえて、僕なりの言葉でまとめてみたい。

    「夢を語れるまでに言語化し、それを自動化できる仕組みに落とし込み、あとは努力を続ける。」

    これこそ、「言霊」の科学的な側面だと言っても、あながち間違いではないのではないだろうか。

    それでは、言霊を信じて、僕の現在の目標と、そのためのステップを掲げよう。さらに習慣レベルまで落とし込むのは、さすがに細かすぎるので、大まかな部分だけにしておく。

    まず、大きな目標として、あるいは大義名分として掲げたいのは、「ことばとこころを中心に、法で人を守る」ということだ。

    これをもう少し具体的に言うと、(心理・認知)言語学で博士号を取得し、公認心理師(あるいは臨床心理士)の資格を取り、弁護士としても活動できるようになること。この三つの柱をすべて立てたい。

    弁護士事務所で1年ほど働いたことがあるのでわかるのだが、クライアントは、法律的な問題だけでなく、常に心の問題も抱えている。弁護士は法のプロであっても、心のプロではない。そのため、どうしても心の傷にまで手を差し伸べることは難しい。

    その両方を同時に支えられる「弁護士 × カウンセラー(便宜的にこう呼ぶ)」が、今の社会には必要だと強く思う。そして、そうした実践的な立場だけでなく、研究者としての視点も不可欠だろう。現場で感じたことを研究対象として掘り下げ、学術的なかたちで世の中に還元する。それは、他の誰かの参考になるのと同時に、自分自身が迷わず進むための軸にもなるはずだ。

    とりわけ僕は、言語に強い関心がある。だからこそ、人が発する言葉そのものを入口にして、心にアプローチする方法を探っていきたい。さらに言えば、今後、外国籍の方が日本社会に増えていくことを考えると、国際結婚などから生まれる法律、言語や心理のトラブルも重要なテーマになってくる。そういった領域を、自分の専門として扱っていきたい。

    この三つの役割(弁護士・心理士・学者)は、どれが欠けても僕にとっては不完全だと感じる。弁護士だけでは、心を癒すことはできない。心理士だけでは、現実の法的トラブルに立ち向かえない。学者だけでは、どうしても人と直接関わる経験が限られてしまうこともある。

    そして、この目標をどうやって日常に落とし込むか。

    弁護士の目標は単純明快。司法試験に合格することだ。現在は予備校に通い、そのために多くの時間を勉強に充てている。

    心理士についても、資格取得はひとつの目標にはなるが、それだけではなく、今のうちから人の心に関心を向け、もっと対話を大事にしたいと思っている。そのために何ができるかは、別に考えていることがいくつかあるため、それはまた別の機会にまとめたい。

    学者としては、幅広く知識を蓄えながら、それを社会に発信する力を育てたい。今こうして書いている「ことばノート」も、そのためのひとつの試みである。

    ちなみに、僕が今描いている具体的なロードマップはこうだ。

    2026年に予備試験合格。2027年には大学を卒業し、大阪大学の博士前期課程に進学すると同時に司法試験も突破する予定。

    2028年は修士1年を修了し、もしかしたら司法修習のために一度休学することになるかもしれない。

    その後、2029年から2030年にかけて修士課程を修了し、心理士の資格も取得したい。

    そして2030年からは大阪大学の博士後期課程に進みながら、弁護士としても活動を開始するつもりだ。

    うまくいけば、2035年には、「学者」「弁護士」「心理士」の三足の草鞋(わらじ)を履いて、ことばとこころを中心に、法で人を守る人間になっている、、、そんな未来を見ている。

    【参考文献】

    Cialdini, R. B. (2001). Influence: Science and Practice (4th ed.). Allyn & Bacon.

    Gollwitzer, P. M., & Bargh, J. A. (2005). Automaticity in goal pursuit. In A. Elliot & C. Dweck (Eds.), Handbook of competence and motivation (pp. 624–646). New York: Guilford Press.

    【タグ】

    認知心理学, 社会心理学, 言語心理学, 自己制御, 目標設定, 言霊

  • #0 ことばノートのはじまり

    Hello, World!

    やっとの思いでブログを書き始めることができた。

    僕は、それほどコンピュータに苦手意識を持っているわけではないのだが、ここに最初の文章を書き始めるまでに、気づけば数十時間も経っていた。

    思いのほか時間を要してしまったのとは裏腹に、このブログは単に「僕の学習記録」としての位置付けとしてはじめるつもりだ。

    「ことばノート」という名前からもお分かりのとおり、このブログでは「ことば」について学んだことを記録していく。

    もっと正確に言えば、「ことば」とは言っても、主に扱うのは「言語学」だろう。

    近ごろは、言語学もホットな分野になってきたように感じる。

    とはいえ、ここではキャッチーで人目を引くような記事を書くつもりはあまりない。あくまで、自らの学びを整理し、体系化するためのノートとして、この場を使っていこうと思う。

    自分自身の学びを整理していく場なのだから、扱うのは「言語学」だけに留まらない。

    「文学」「法学」「哲学」「歴史」「旅行?」、、、とにかく、“ことば”に繋がりそうなことなら、何でも記していこうと思う。

    ある意味では、一種の僕にとっての備忘録であり、日記のようなものとも言えるかもしれない。

    最後に、ひとつだけ伝えておきたいことがある。

    僕は、もの書きでもなければ、学者でもない。

    ただの、しがない一人の言語学徒だ。

    これから、文章の書き方も学んでいくし、言語学をはじめとするさまざまな学問について、深く探求していきたいと思っている。

    だからこそ、ある程度のミスについては、どうか大目に見ていただけると嬉しい。

    とはいえ、優しいご指摘は大歓迎。

    よろしくお願いいたします。